49 日立だんなと日立乞食

49 日立だんなと日立乞食

 第二次大戦中にこの村にも、軍需景気の時代がありました。
 せな(長男)以外の男の人達は、工場で工員さんとして、大勢働いていました。
 工員さん達は収入がよかったので、赤ちょうちんの飲みやさんで、いつもにぎやかに飲んでいました。
 なかでも日立航空機〔小松ゼノアの前身〕に勤めていた人達は、特に人気があり、「やあ!日立だんな」「さあさあ「日立だんなどうぞこちらへ」といわれて、大変もてていました。
 しかし、戦争末期に会社は爆撃を受け、大半を焼失してしまい、戦後は反対に景気が悪くなってしまいました。

 ここでも都会の人達と同様に、物々交換のため着物など持って、農家に食糧の買出しに出かけました。
 今度は日立だんなではなく、「南の日立乞食が来たよ」などといわれた人もいたそうです。

 終戦直後はここを出て行く人、都会で家を焼かれて帰って来た人、人の出入りのはげしい時期でした。(東大和のよもやまばなしp110)